戸田信之氏作庭による石庭である。
手前の大きな石は約四トンあり、坐禅石として置かれている。奥に見える燈籠は珍しい六方石で出来ている。
中央が釈迦如来、向かって右側が文殊菩薩(智慧を司る仏さま)左側が普賢菩薩(慈悲を司る仏さま)この釈迦如来像は愛知県覚王寺住職寺澤啓充師作による。
當山六代長沙和尚による書。長沙和尚は白隠禅師の十哲の一人で、当山の禅堂へ雲水が、雲霞の如く参集して参禅されたと、荊棘叢談という本に記してあります。
六道に配して造られた地蔵です。中央に釈迦牟尼仏が治まっています。それぞれの持物の印相によって、苦界に沈んだ衆生を救済するという功徳を得られます。
六角六面に彫られた珍しい石像です。
このお地蔵様にイボが取れるようにお願いをし、叶うと松ボックリで作った首飾りを供えお礼を致します。
イボ→ガンにも効くかも。
瑞応寺開基の墓、新原の村づくりの中心となった帰農武士三代目から安間姓に変える。
安間彌左右衛門之尉村一碑
大本山方広寺派二代管長間宮英宗老師揮毫による碑で裏面には徳川家康公と和睦しこの地を賜った由のお墨付きが記されている。
大正14年11月建立
山門東側に在る、観音堂の菩薩像は
宝永7年庚寅(西暦1710年)8月15日の旧盆に奉納されています。
今から300年以上も前にあたり江戸時代中期、徳川吉宗が1716年に八代将軍になったほぼ同時期にあたります。
観世音菩薩は慈悲深い徳があり世の人々の救いの求めに応じて直ちに姿を現すと言われる菩薩様です。
日清・日露・大東亜戦争の戦没者の慰霊碑です。戦後間も無い昭和25年9月に建立されました。106人の戦死者病死者が祀られています。
三十三に姿を変えて人々の苦悩を払うという観音さまは、仏教の伝来とともに信仰されてきた。特に有名な観音信仰は西国三十三ヶ所観音霊場への順礼である。
この瑞応寺寺号額は宇治黄檗山万福寺第四代住持独湛によって書かれています。細江の初山宝林寺の開山としても有名。
瑞応寺建立の際北東の方向へ諏訪大明神、北西の方向へ椎河大龍王を祭って、瑞応寺の護法鎮守とした。
維新政府の「神仏分離令」により諏訪神社は新原村の神社として瑞応寺鎮守より独立分離。